日本での種痘(ワクチン)が天然痘感染拡大防止に効果があったという科学的根拠はない?
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(前回の 海外における種痘の現実に関する記事 よりの続き)
私はワクチン反対論者でもワクチン賛成派でもありません。
政治家によっては、盲目的にコロナワクチン接種をするように呼び掛けているようです。
しかし厚生労働省はホームページにて「あくまでも、ご本人が納得した上で接種をご判断」と、わたしたち国民にしっかりした検討するようにと喚起しております。
何も考えずに安易に新型コロナワクチン接種すべきではないと、考えている一人であるだけです。
まずはお断りをさせて頂きます。
日本での種痘は江戸時代後期より始まり、明治時代になって本格化したようです。
明治9年に天然痘予防規則が施行され、同42年には法的規定を有しない強制接種制度である種痘法が確立しました。
明治の御代における天然痘の流行と種痘の様子を記録したものとして、愛媛県生涯学習センターさんに「痘瘡と種痘 明治前期の流行と種痘の法制化」と題した、当時の天然痘と闘いの記録が所蔵されています。
「明治九年以来の新生児強制種痘が効果を現し、再三種の普及と相まって患者も激減、とりわけ重症による死者が少なくなった。愛媛県でも大正五年の流行に至るまで一名の発生もなかった。」と、種痘が天然痘の発送予防に種痘が効果的であったと、結論付けられています。
しかし現在の私たちが、種痘が天然痘発症予防に効果がないという前提でこの記録を読んだ場合は、逆に種痘の生ワクチンが感染拡大を引き起こしたと読めてしまうのです。
この記録には、非常に不可解な記述があります。
明治37年に、朝鮮半島やウラジオストックなどの、日本からのアクセスとなる地域での天然痘の流行を事前にキャッチして、県は種痘施行の指示を発出したものの、翌年には越智郡亀山村で児童1名が罹患して死亡したという記述です。
この越智郡亀山村とは現在の今治市ですが、本土ではなく芸予諸島の最南端の大島に位置します。
他の多くの芸予諸島と同じく、この島もかつての村上水軍の拠点でした。
ご存知のように、村上水軍は航行する船舶から通行料を徴収し、引き換えに船の警護をしていました。
朝鮮半島やウラジオストックから日本へは、日本海側の敦賀港や新潟港方面への航路もありましたが、瀬戸内海を航行する航路もありました。
ですから通行料徴収に乗り込んだ水軍兵が船内で感染し、天然痘ウイルスを家庭に持ち帰って幼子に感染させたのではといった推測が成り立ちそうですが、通行料徴収はとっくの昔の豊臣時代に禁止されてしまっています。
その頃外国航路で活躍していたのはもちろん蒸気船であり、わざわざ大島に立ち寄る必要もありません。
そのような状況下で、天然痘の越智郡亀山村への伝播は、非常に不可解なわけです。
なおその後に記述されている「被接種者には接種後部位を保護するよう注意すること」とは、接種部位から他の人への感染を防ぐためであり、現在でも生ワクチンを接種する場合の常識です。
すなわち生ワクチンとは、感染症発症を広める危険性も潜んでいるわけです。
もちろん種痘が天然痘を拡散させた証拠などはありませんが、同様に種痘が天然痘の拡大を抑えたという根拠もないわけです。( 続きの記事 へ)
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